日常の幸福(焼き鳥屋)

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今日はただの日記。

最近、近所に良い焼き鳥屋を見つけました。
店主一人で切り盛りする小さな店。
イメージとしては、ちょっとこぎれいな深夜食堂のような感じでしょうか。
写真は撮っていないので画像は版権フリーサイトから。

ドラマの深夜食堂のような、あまり愛想が良いわけではないものの、ちらほらと客に話しかけてくれる店主がいて、焼き鳥の他にはメニューは数品だけ。飲み物も、ビールと焼酎ぐらいしかない。それもソーダ割すら不可。

でも、いつもそれなりに席は埋まっている。電話すると「今日は無理ですッ」と(ややぶっきらぼうに)言われたり。

焼き鳥は文句なくおいしい。野菜焼なども非常に美味しい。

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既に何度か行き(数か月は自粛していたし数度ですが)、一応、店主は顔を覚えてくれたらしい(多分)。

ああ!こういう店の常連になることがささやかな夢だったんですよ。いい!とてもいい。

メニューをもう少し増やせばいいのにと思わなくもないのですが、客層を維持したいために敢えての少なさらしい。
それは更にいい!
なんだかサービスや過ごす場の雰囲気というのはお金を払って得るものであるということを庶民は気づきにくいと思いますが(え、私だけ?)
院生時代にバーなるものに連れていかれた時に、料金に納得がいかずにネットで検索して非常に納得したものです。あれは飲み物そのものの料金というよりも、バーという空間で飲むための料金であり、バカ騒ぎしたい金欠の若者などと住み分けをするための料金であると。

この焼き鳥屋。この少々の不便さ(狭さ、メニューの少なさ、事前に確認しないと入れないことしばしばあり)が、この中年以上の近所のなじみ客が静かにのんびり飲む空間を作り出しているわけですな。

仕事帰りに、ちょっとあの店寄ってくか、だとか、夫婦でちょっと飲みに行くか、だとか。いいなぁ。
なんだか日本のサラリーマンのイメージ図、のようでこういうのに憧れていました(笑)

こんなことで幸せを感じるもので。

今後も通って常連になりたいものです。

三浦瑠麗のAmazonプライム解約運動その後の報道

国際政治学の学位(博士)保持者でテレビのコメンテーターや雑誌記事の執筆をされている三浦氏。
なかなか美人な女性なのですが、AmazonプライムのCMに彼女が出演したことに反発し、Amazonプライム(年会費5千円ぐらいのサービス)の解約運動まで起こったという出来事です。

その後の報道といっても特段新しい情報が出たわけでもありませんが、こんな記事がありました。

digital.asahi.com

あんまりこの騒動にも三浦氏にも関心はありませんでしたが、こちらの記事にはちょっと「うんん?」と思ったので一言。
この記事は要するに、Amazonプライム解約運動を例に挙げ、「ネット上での言論は左右を問わず、立場が違うものは拒絶するといった問わず激しいものになりがちだ」と三浦氏を批判した側をやや非難するニュアンスでこの騒動を総括しています。
記名記事なんですが、うーん、なんだか大手紙にしてはお粗末なまとめ。

 

いやいや、三浦瑠麗氏が反感を買うのは、発言がご自身の専門とされる国際政治に関するものであっても、「本当かよ!?(≒真偽疑わしい)」「それ専門家としての知識や分析ではなく個人的意見だよね」って感じのことが多いからではないかと個人的には思います。

 

論文検索してみると、この人、ここ10年ぐらいは一般紙の記事や研究書ではないような本ばかりで研究論文や研究書は全然書かれていないようですし、実態は研究者ではなく知識人枠のコメンテーターじゃないかと思いますが、肩書は「国際政治学者」。
「学者」に期待される種の発言じゃないと思うのですよ。同じことをタレントとか小説家とかの枠のコメンテーターが言っていてもそれほど反感買わないのでは。

私は彼女が出演している朝の番組は見ていませんが、特定のニュースの時に単発で呼ばれて専門家としてコメントする研究者は全くの別物として、レギュラーのコメンテーターとして毎日(?)毎週(?)情報番組に出演し、何にでも”研究者として”信頼に足るコメントするのは無理だと私は思います。
特定のニュースに呼ばれてコメントする研究者も、番組によっては事前に相談のないことをその場で答えさせられたり、瞬発的なレスポンスが必要だったりして、とても責任ある発言はあんな場ではできない、と愚痴っていたのを何度か聞いたことがあります。
あんまりいないですよね。研究者でレギュラーコメンテーターになる人。逆はままいますが。ジャーナリストなどでコメンテーターをしていて大学教員として招かれる人(しばしば広告塔として)。
以前、池上彰氏に関してこうした記事をかいたことがありました。

msr2do.hatenablog.com

つまりまとめると、三浦氏が予想外なほど多くの人に反感を買っているとすれば、国際情勢に関してなんだか根拠の怪しげなものを含む大分一方向に寄った個人的意見を「専門家(国際政治学者)」という肩書で、あたかも「学問的見解がそれですよ」という風に語っちゃうからではないかと。
彼女が「フリーの女子アナ」とか「美人芸人」とかであれば、割とイデオロギーのはっきりした人だね、というだけで一部には嫌われても、それほど多くの人が拒絶反応を示さなかったのではないでしょうか。

 

真面目な学生の心理

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成績を付ける作業の過程でちょっとおもしろいなと思ったこと。
今学期、全ての担当科目が期末試験の代わりにレポートとなりました。
学期中真面目に取り組んでいたにもかかわらず、なぜかレポートを提出してこない学生というのはいます。
まあ、普段からそういう学生も中にはいるので、一度締め切り前にリマインドはしますが、それだけ。
しかし、今学期は顔を見ることもなく全て大学のポータルサイトを通じたやり取りなので若干不安もあり、未提出者全員に締め切り後メールをしました。
十数名程度だったので大した手間ではありませんでしたし。(前の大学だったら、人数が多すぎてできなかったかも)

すると、半数近くがそのメールに返信してきたのです。
ここでまず驚きです。
返信してきた学生たちは、「提出したつもりだったがファイルをうまくアップロードできていなかったようだ。でも間違えたのは自己責任なので諦めます」などというのです。
焦る私。
彼らが提出フォームの最終確認ボタンをクリックしなかったといったことであれば、自己責任ではありますが(大いに同情の余地ありですが)、ポータルサイトのエラーであったらこちらの(大学の)責任といえます。
可能な限り確認し、対処しなければなりません。

その旨伝え、確認をするために協力して欲しいと頼むと、積極的に協力してくれたのは1名でした。
その他は、
パターン1.それ以後返信なし
パターン2.「勘違いでレポートやってませんでした」という丁寧な返事(これにもびっくり。こんなことも正直に丁寧に返信してくれるということが)

本当にレポートを書いていて提出したつもりだったのであれば、協力の手間ぐらいのことは惜しまないはずです。2単位がかかっているわけですから。
パターン1の学生たちも、実はレポートをやっていなかったのではないですかね。
にも拘らずわざわざ返信してきたのは、彼らにとって、
「提出ミスをするという凡ミスの方が、レポートをサボったあるいはできなかったというよりも、名誉を守ることになる」
からなのでしょう。恐らく。
彼らは一様に(といってもまあ、数名ですが)学期中の取り組みをみると真面目な学生。

この新しい大学の学生たちに新鮮さを感じる初めての学期終わりでした。

独裁系教育困難大学の入試と偏差値

かつてないイレギュラーの今学期も、成績付け作業が終わりました。

昨年度までの勤務校と現在では、偏差値にして10ほど違います。
決して上位校ではありませんが、いやぁ、思っていた以上に学生たちが優秀でまじめで、本当に嬉しい。
全く同じ課題を出したところ、出来栄えの違いに驚きました。
数年前に課題を作成した時に想定したような水準で、ああ、大学生に自分の専門分野を教えているんだ、という喜びを感じます。

予備校などのHPで確認できる偏差値では10くらいですが、正直それ実態はそれ以上の差と思われます。以前の大学は公表偏差値はかなり操作されたらしく、当てにならないものであることを中で働いてしばらく経って知りました。
まず、AO、各種推薦(公募、指定校、スポーツ等)で半数を余裕で越える数の学生を年度の早い時期に確保します。そして年明けに少数の一般入試を行います。前者のAOだの各種推薦だのは、一般入試の水準に遥かに及ばない学生がたくさんいます。極端に言えば、恥ずかしくて口にするのも憚られる実態ですが、日本語がまともにできない留学生も当たり前のようにいます(英検でいえば3級に合格していない水準は多い。もちろん日本語で専門科目の授業を理解するなど無理)。日本人であっても、国語の教科書程度の文章が読めない、英語のbe動詞がわからないような学生が当たり前のようにいます。恐らく、”ケーキの切れない”学生も少なからずいたことでしょう…。(参照「ケーキの切れない非行少年たち」宮口幸治)
それなのに、一般入試はでは不合格者をたくさん出します。偏差値にして40代前半から予備校によってはぎりぎり45ぐらいですが、be動詞がわからないレベルでは到底合格しません。そうすることで、定員を確保しつつ、予備校で発表される偏差値を高くするわけです。公然の秘密といった感じで事務方上層部からそんなことが漏れ聞こえていました。
その結果、学生多数の水準は公表偏差値には遠く及ばず、学生間の学力差は大きくなります。一般入試で入ってきた学生にとって詐欺みたいなものじゃないかとすら感じます。
もちろん、今日びの私立大学は多かれ少なかれそんな面はあるでしょうが、恐らくここまで開き直って実態を無視し、定員を安定的に充足させ将来安泰な評判(偏差値)を得られればそれでいいと突き進んでいる大学は、そう多くはないかと。
まともな大学は、AOや推薦をそんなにもザルにすることに対して教員組織が抵抗するわけですが、教員組織にそんな力がない、及び抵抗するような教員は徐々に排除されていくのが独裁系大学。
なぜこんなやり方で一般入試を受けに来る公表偏差値水準の学生がいるのかむしろ不思議に思いますが、そこは湯水のように投入された広告費と営業活動と綺麗でおしゃれなキャンパスで何とかするわけです。
実態は、半数以上がBF水準だったと思います。

アカポス就活中の皆さん、面接に呼ばれたら、その大学に妙な評判がないかネットや友人知人のつてを辿ってよーく調べることをお勧めします。何かしら漏れ伝わってくることがあるはずです。

受験生の皆さん(このブログを読んでいる人にはあまりいないでしょうが)オープンキャンパスの雰囲気だけで進学先を決めてはいけません。

なぜ、ホワイト大学では雑用が少ないのか

前回の記事で、今年度着任した新しい大学では雑用、というか校務がものすごく少ないということを書きました。
なぜ、校務の量にこんなにも差が生じるのかを振り返ってみたいと思います。

まず、当然だろうというところから。

1.人的資源が十分である。

教員数に余裕があります。しかし、これは意外とそれほど大きな差があるわけではありませんでした(前・現勤務先比較)。
大学設置基準で定められた数を大きく上回るほど教員を抱えている大学は少ないかもしれません。
しかし、それ以上に事務職員さんの数が潤沢です。これが大きい。

そして1に関連して、

2.事務職員が担当する業務の範囲が広い。

前勤めていた独裁系教育困難大学では、「これは事務職員さんの仕事では?」と思うような業務がかなり教員に回されていました。教務、入試、就職支援、各種イベントの企画運営等々。
裁量労働制のはずなのに、教員が労働できる時間は教育と校務で余さず使わなければもったいないと言わんばかりです。

これも2にも関連しますが、

3.学生のお世話が少ない。

前の大学ではびっくりするほど「学生の世話業務」が多く、時として時間や手間を取られるばかりではなく、問題学生やモンスターペアレント・過保護な親の対応で精神的に疲弊します。
別の大学ですが、このせいで鬱一歩手前に陥った知人もいました(本人談)。
なにせ入試はほぼボーダーフリーなので、真面目に授業に出て勉強をするということが困難な学生がたくさんいます。しかし、その学生たちを手厚くケアしなければなりません。
それも、前の大学に勤めてしばらくたってわかりましたが、学生のためを思ってではないのです。当初は大学の良心だと疑わなかったものです(しみじみ)が、卒業まで四年間在籍してもらわないと、学費をとりっぱぐれるからなのです…。
一人退学したからといって一人補充できるわけではありませんからね。
偏差値がそこそこあるが故か、地域では名門としてある種の権威を確立しているためか、今の勤務先はそんなに問題ある学生は多くないようで、細やかな学生のお世話を要さないのでしょう。
就活中の同業の皆さん、面倒見のよさを謳っている大学には注意かもしれません。最近は珍しくもない四年間全員が必ずゼミに属するという形式はその表れのひとつです。

そして、意外と大きいであろう、これ!

4.学部学科やカリキュラムが安定している。

これです。別の教育困難大学に勤務する教員たちにもしばしば聞くのですが、まるでスマホの端末の新モデルのように学部・学科・コース・カリキュラムなどの変更を意味不明なほどに頻繁に行う教育困難系大学は少なくないようです。
しかし、これらの変更にはとんでもない手間がかかります。「新学科準備委員会」のようなもののメンバーに入るとそれはそれは膨大な事務仕事がふってきますし、メンバーでなくても会議は増え、新たな業務を割り振られ、カリキュラム変更程度であっても、授業の変更は場合によっては90分15回分の授業を丸々新たに準備しなければなりません。もちろんそれが複数科目に及ぶ場合もあります。
前の大学は、(数少ない)ベテランの教員でさえ、担当する科目がなんだかんだしょっちゅう変わって常にと言っていいほど新たな授業準備に追われていました。担当科目が安定していれば、授業内容の改善やアップデートをじっくり行えるものが、正直いって、こんな状況ではやっつけにならざるを得ない場合も…。苦労して準備しても、一年で終了したりしますすね。もう、涙です。
今の大学は、先輩方に聞くに、学部学科はもちろん、カリキュラムも長らく安定しているようです。すばらしい…!
より良くしようと新たな試みをすることはもちろん良いことだと思います。そのために一生懸命誠実にがんばっている教員も職員もいました。しかし、あんまり頻繁だと組織が疲弊するだけでメリット少ないのではないかと思います。

 

以上、なぜ校務の量がこんなに違うのかの振り返り、でした。

雑用が全然回ってこない

…んですよね。今日は新しい大学での仕事について、でも。
つい「でもまだ着任したばかりだからな」などと思ってしまいますが、前のブラック大学の初年度の手帳を見返してみると、もうこの時期はガッツリ雑用漬の毎日でした。いくつもの委員会に所属し、入試や広報などの出張も行かされ、資料をまとめてこいだの、イベントの仕切りをしろだの、既にやっていました。
すげえ、入って四か月の人間をこんなにフル活用していたのか、としみじみ。

今の大学は、ホワイトだからかコロナ禍のイレギュラーなせいかわかりませんが、他の教員に聞く限り、ホワイトだからのようです。
会議も月に2回ぐらいしかない。最大でのべ4回。委員会なんて現在所属しているのはひとつだけ。しかもまだ一度も召集されていないしオンライン会議もありません。通常運転でこんな感じの委員会だそうです。入試の回数もアホみたいに多かったりしませんし。
だってサトウさん、新任なんですから、とか言われますが、信じられない思いです。そういや授業担当は4コマです。なんと、前職から半減しています…!

労働環境って勤務先で本当に段違いです。
また、今の大学は継続的にちゃんと研究して実績上げている人しか教員として採用されません。
教員は研究することが前提として扱われています。つまり、研究するための時間をちゃんともらえます。
「え?こいつ何言ってるの?当たり前だろ」と思ったあなた。
そんなことないんですよ。教育困難校(≒Fラン大学)では、就職支援や受験生集めができる実務家教員が重宝されています。一流企業出身で独立してコンサルタントになった人やら、元ジャーナリストやら、元公務員やら、そうした研究なんてほぼやったことがないあるいはゼロの実務家教員がもてはやされ、数を増やしています。そうした教員たちは、授業のコマと、学内の事務仕事(校務)と学生のお世話、就職支援や受験生獲得の仕事が全てだと思いがちで、「校務負担が多すぎる」とぼやく教員に対して、何を呆れたことを、企業ではこんなもんじゃない、などと言うのですが、研究という仕事がカウントされていないからなわけで。
研究は趣味的なものだから余暇の時間をひねり出してやるもの、みたいな風潮が本気でありましたからね。
これが大学だと思っている教員が今どきの教育困難大学に行くと、深刻なミスマッチが起きるのがよくわかります。「こんなことは大学教員の仕事じゃない!」という側と「こいつは給料をもらっておきながら何も仕事しようとしない!」という側と。

 

ちなみに、ポストがない、研究者の就職が厳しいといわれて久しいですが、私個人の意見としては、ポストを得るのに一番必要なことは、抜きんでて優秀なことではなく、必死こいて就活することだと思っています。

コチラ↓など、「転職活動」の記事を参照してください。

msr2do.hatenablog.com

 

先の見えない今日この頃

新しい大学に着任して早4か月。期末試験シーズンですね。筆記試験の予定をレポートに変更したケースが多いようですが、レポートは採点が大変です。
きちんと採点基準を設け、コピペなどの不正も徹底的にチェックすると、数百人分ということもザラのレポートの採点にはものすごく手間がかかります…。私の場合、ほぼ強制的に全科目がレポートとなりました。
ふう。後期も多くの大学、多くの科目がオンライン授業となりそうな情勢の中、授業準備も例年に比べとても夏休み中には終わりそうもないですし、淡々とした孤独な仕事スタイルが続くという意味でも楽しみではない夏休みですが、採点と授業準備に追われて研究にあまり時間が使えなさそうという意味でも楽しみではない夏休みとなりそうです。

4月5月と違って、なんだか「どうも終わりが見えない気がしてきた」という暗い気持ちが漂い、年配の教員たちは、自分が感染して重症化するリスクを身に迫る危機として数か月前よりも怖いと感じているようです。

対策も中だるみしそうになる一方、この先どうなっていくのかなという漠とした暗い気持ちの中、誰かが言っていた、「こんなのキャンパスライフじゃない」という言葉に、「やっぱりそうだよね」と思ってしまいます。

友達も作れない新入生、サークル活動もフィールドワークや実習もなく、大学生ならではの夏のレジャーも、恋愛を楽しむといった機会も、ことごとくほぼなくなり。それどころではない業界も多いこととは思いますが、大学の中でも、非正規職員や、学食や購買の業者もかなり厳しい状況にあるでしょう。

しかし、こういう時はなるべく、気分だけでも楽観的に、なるべく不安やストレスをため込まないようにしたいものですね。不安に思ってもあがきようもないので。もちろん、きちんと対策をする危機感は忘れずにですが。

ささやかな楽しみを見つけて暮らしましょう。私は最近、動画や新書や漫画などを以前より読んだり見たりしています。

youtubeで無料で見られるこちらの動画、おすすめです。(煩わしい広告も付きません)。

完全に文系の私には、理解できていない部分もあるのですが、それでも面白いです。

www.youtube.com