なぜ、ホワイト大学では雑用が少ないのか

前回の記事で、今年度着任した新しい大学では雑用、というか校務がものすごく少ないということを書きました。
なぜ、校務の量にこんなにも差が生じるのかを振り返ってみたいと思います。

まず、当然だろうというところから。

1.人的資源が十分である。

教員数に余裕があります。しかし、これは意外とそれほど大きな差があるわけではありませんでした(前・現勤務先比較)。
大学設置基準で定められた数を大きく上回るほど教員を抱えている大学は少ないかもしれません。
しかし、それ以上に事務職員さんの数が潤沢です。これが大きい。

そして1に関連して、

2.事務職員が担当する業務の範囲が広い。

前勤めていた独裁系教育困難大学では、「これは事務職員さんの仕事では?」と思うような業務がかなり教員に回されていました。教務、入試、就職支援、各種イベントの企画運営等々。
裁量労働制のはずなのに、教員が労働できる時間は教育と校務で余さず使わなければもったいないと言わんばかりです。

これも2にも関連しますが、

3.学生のお世話が少ない。

前の大学ではびっくりするほど「学生の世話業務」が多く、時として時間や手間を取られるばかりではなく、問題学生やモンスターペアレント・過保護な親の対応で精神的に疲弊します。
別の大学ですが、このせいで鬱一歩手前に陥った知人もいました(本人談)。
なにせ入試はほぼボーダーフリーなので、真面目に授業に出て勉強をするということが困難な学生がたくさんいます。しかし、その学生たちを手厚くケアしなければなりません。
それも、前の大学に勤めてしばらくたってわかりましたが、学生のためを思ってではないのです。当初は大学の良心だと疑わなかったものです(しみじみ)が、卒業まで四年間在籍してもらわないと、学費をとりっぱぐれるからなのです…。
一人退学したからといって一人補充できるわけではありませんからね。
偏差値がそこそこあるが故か、地域では名門としてある種の権威を確立しているためか、今の勤務先はそんなに問題ある学生は多くないようで、細やかな学生のお世話を要さないのでしょう。
就活中の同業の皆さん、面倒見のよさを謳っている大学には注意かもしれません。最近は珍しくもない四年間全員が必ずゼミに属するという形式はその表れのひとつです。

そして、意外と大きいであろう、これ!

4.学部学科やカリキュラムが安定している。

これです。別の教育困難大学に勤務する教員たちにもしばしば聞くのですが、まるでスマホの端末の新モデルのように学部・学科・コース・カリキュラムなどの変更を意味不明なほどに頻繁に行う教育困難系大学は少なくないようです。
しかし、これらの変更にはとんでもない手間がかかります。「新学科準備委員会」のようなもののメンバーに入るとそれはそれは膨大な事務仕事がふってきますし、メンバーでなくても会議は増え、新たな業務を割り振られ、カリキュラム変更程度であっても、授業の変更は場合によっては90分15回分の授業を丸々新たに準備しなければなりません。もちろんそれが複数科目に及ぶ場合もあります。
前の大学は、(数少ない)ベテランの教員でさえ、担当する科目がなんだかんだしょっちゅう変わって常にと言っていいほど新たな授業準備に追われていました。担当科目が安定していれば、授業内容の改善やアップデートをじっくり行えるものが、正直いって、こんな状況ではやっつけにならざるを得ない場合も…。苦労して準備しても、一年で終了したりしますすね。もう、涙です。
今の大学は、先輩方に聞くに、学部学科はもちろん、カリキュラムも長らく安定しているようです。すばらしい…!
より良くしようと新たな試みをすることはもちろん良いことだと思います。そのために一生懸命誠実にがんばっている教員も職員もいました。しかし、あんまり頻繁だと組織が疲弊するだけでメリット少ないのではないかと思います。

 

以上、なぜ校務の量がこんなに違うのかの振り返り、でした。