菅さん
今更ですけど、政治家(政治家全般というより閣僚級の人々)の謝り方って本質的ポイントを絶対に避けてどうでもいい点に関して謝るというのが、もう決まりみたいになっていますね。
彼らが謝罪し反省するのはほぼ
「お騒がせたこと」
「誤解を招いたこと」
に限られます。
菅総理が国民に自粛を呼びかける一方で自身は多人数で会食したことに対して「誤解を招いたこと」を「反省」すると発言し、批判と反感をよんでいます。
これに対し、「何が誤解なのか?」と官房長官の記者会見で問われても、当然のように答えはない。「反省してるわけだからそれでいいでしょう」といった返答。
非を認めたらどうなると思っているんでしょうね?
うやむやに誤魔化すことで信頼や権威が保たれるとでも?むしろ「驕りがあった」「断りがたいと感じてしまった」「不適切だった」と潔く認めて謝罪し、二度としない、とした方がよほど国民の印象は良いと思うのですが。
「ソーリー」と口にしたら非を認めた証拠とされて裁判で負ける、という場でもあるまいに。
教員でもたまーに、間違いを絶対に認めず、学生に指摘されたりすると「無礼な!」といわんばかりに不機嫌になる人もいるようで。
人間だから間違いはあるし、(残念ながら)天才ではないので知識に限りもあります。
しかし、自分の専門分野では学生たちに教えるのに十分な知識は持っているし、努力もしてきた自負が私にはあります。当然知っているべきことを知らなかったら恥ずかしいですが、それはないと自信がある。だから、知らないことを学生に指摘されても私は別に恥じません。
菅さんの最大の特技は「組織やインナーサークル内でうまく立ち回ること(そしてのし上がること)」だから、「自分の言葉や信念には絶対背いていない」みたいな方向性は苦手でしょうね。器用に狡猾に立ち回り権力を得る方向性とは残念ながら逆方向でしょう。
そうそう。彼の「エビデンス」の使い方って、わざとなんでしょうかね?
感染者増加の原因がgo toキャンペーンだというエビデンスはない、と言っていましたけど、いうまでもなくgo toキャンペーンが原因だという証拠がないだけであって、原因でないと証明されたわけではないのですが。(一般人でそういう誤解をしている人は多いものの)
1.上記のことがわかってない
2.わかっているが、キャンペーンが原因だという確証がない限りはリスクをとってもキャンペーンを続けたい、という意図。
3.一般国民に多数いる上記がわかっていない人々(中でも支持者)に対するミスリード(go toキャンペーンが原因ではなかったのだ、と思わせたい)。
3だったらゲスいですねー。