お久しぶりです

ずいぶん久しぶりになってしまいました。

研究関係の締め切りが重なっていてどうも他のことを考える余裕がなく。

恐らくそのプレッシャー(ストレス)でよくわからない神経痛になってしまい、立って授業するのが精いっぱいという体たらく(3週間ぐらいで治りましたが)。インドア系虚弱が年を取ると恐ろしいことにぼちぼち気づき、何か運動でもしなければと思う今日この頃です。

 

ところで、面白いブログ記事を目にしました。

tjo.hatenablog.com

簡単にまとめると、研究者志望のまじめで優秀で一本気なポスドク青年が、真面目ゆえに見過ごせずに研究の世界の様々な歪みや問題をブログで訴えるなどの運動をし、結果としてどうもそれが就職の障害ともなり、研究者を諦めることとなったと。

そのプロセスが詳細に書かれていて、とても興味深い記事でした。

ちなみに、最後はデータサイエンティストとしてgoogleに就職するというハッピーエンドとなっているので、安心して読めます。

 

記事を読んでいて、きっとこの人は優秀なんだろうなあというのが伝わってくるのですが、業界の歪みをつついて腫物、厄介者になってしまった以外にも、彼が研究者のポストを得られなかった理由がもうひとつありました。

自分がやりたい研究に突き進んだ結果、きれいなデータがなかなか得られず、思うように業績(論文)が出せなかったのです。

ああぁ、ものすごくわかります・・・。そうなんです。

「自分はこの研究をやりたい!」「これこそ意義があるテーマだ」というような研究と、「無難に業績を積んでいけそうな」研究は、しばしばものすごく異なるのです。

研究者というと世間のイメージでは、たとえマイナーであっても特定のテーマに情熱を持ち、それをとことん追求したい!という感じではないかと思いますが、私の身近には、情熱もなければたいして関心もないのに、結果が出やすそう/論文にしやすそうなテーマ、現在求められているテーマ、ポストを得やすそうなテーマを”賢く”選んで、割と淡々と研究している人がたくさんいます。でもそういう研究者は、研究に情熱がないのですぐに研究をやらなくなり、学内政治に張り切り始めたりしそうですけどね。というか、独裁系大学ではりきって独裁者の目に留まろうと雑務や学内行政にまい進している同僚はそのタイプでした。(研究スタンスは自分で堂々と言ってました)

このブログの人みたいなタイプは、本当に真面目で一本気なのだと思います。彼みたいな人こそ研究者気質だと思うのですが、彼のような立ち回り方では、ただでさえ厳しい競争を勝ち抜くのは逆説的に不利になってしまう。論文の数で評価され、スポットライトの当たらないマイナー分野や何らかの実用につながらないテーマなどは重宝されない。

私はといえば、本当にやりたいテーマを、「もっと就職に有利な研究をやれ」という先輩や先生のアドバイスがありながらも大筋では貫きつつ、しかし就職のことを常に頭の片隅に置いて、需要がありそうな方向へ微寄せして研究する、というような、よく言えばどちらも取り、悪く言えば中途半端なスタンスできた感じです。

そういえば、 テニュアのポストが得られた今、もっとやりたいことをやっていいのか。

就職はできても「研究費を取りやすいように業績を積んでいく」という課題は引き続きなわけですが、たまたまそれほど大きな額の研究費がなくても研究できる分野な上、大学の個人研究費や学内競争資金がありがたいことに非常に潤沢なので、それほど死活問題ではないですし。

 

 若手の皆さんには、研究への情熱をもって欲しい。でも、器用に・・・。独裁系大学でなくても、世の中、(企業や大学など小さな組織など特に)まだまだ本で学んだほど民主的ではないんですよね。余計なことを言うと潰される。自分に実害がなければ間違ったことも理不尽なことも見て見ぬふりをせよというのは、残念ですが真理だと思います。

 

とりあえず私は、ブログでぐらい言いたいことを言うために、所属先やフルネームは伏せてやると決めてます(親しい同僚に読まれたら、バレる可能性もありそうですが)