橋田壽賀子さん訃報に思う「ままならぬ人生を懸命に生きる」への共感

橋田壽賀子さんがお亡くなりになりましたね。

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以前、こんな記事を書いたことがありましたが、橋田氏の代表作「渡る世間は鬼ばかり」が私はなんとも好きじゃなかったんですよね~。

好きじゃなければ見なければいいだけなんですが、実家では親が大のファンだったために、放送時間は必ずついており、結果として時々部分的に見ることになっていました。

私なりにまとめると、「渡鬼」(なんと一発変換できる!)とは、嫁姑問題、夫婦問題、親子問題など、ままならぬ中であがいたり耐えたり苦しんだり疲れたりしながら基本的にはそれを己の人生と受け入れて生きていく人々の姿を描いたドラマです。

なんで嫌いだったかというと、自分にとって好ましくない状況を何とか切り開いていくという方向性じゃないからだなと後年気づきました。これと対極にあるのが、例えば私にとっては「ジョジョの奇妙な冒険」でしょうか(笑)こちらは、主人公たちの行動原理は「何とか自分で切り開く」に尽きる。

渡鬼を見ていると、「もっとどうにかやりようがあるだろうが!耐える方向じゃなく打開する方向にがんばれよ、活路を探せよ」と思ってイライラしてしまっていたんですよね。今でもあまり、「耐える」というコマンドは好きではないし得意でもありません。

しかし今考えてみると、人生なんてままならぬことの方が多いのかもしれません。

私は幸い現在の仕事や家族の状況にはままならぬ要素はあまりないものの、受験やら学生生活には挫折も多かったものです。

ままならぬ人生だが、それを受け入れて耐えたり喜びを見出したり、家族が救いになったり、それにものすごく多くの人が共感し渡鬼に夢中になったのだろうと今ではわかります。

橋田氏は人生バリバリうまくいっていた側だろうになぜそういう方向に共感を呼ぶ作品を書けたのだろう。それが彼女の才能なのかもしれないし、あるいは才能あふれる彼女も、時代柄からも女性であることで男社会で仕事をしていくには多くの「ままならぬ」を経験し、それを投影させたのかもしれません。

 

でも、若者たちには言いたい。

自分の人生、己の知恵と努力で切り開いていけよ、と。早い段階であればあるほど、避けられる「ままならぬ」も多いと思うのです。