選択的夫婦別姓を必死に否定する人が守りたいもの

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出典 「21世紀少年(下)」

先月、最高裁大法廷が「夫婦同姓を強いる現行法は合憲」であるとの判決を下しましたね。(これはいうまでもなく夫婦別姓が「違憲」だという意味ではありません)

これ、実は私の専門にびみょ~にかすっているといえなくもない(笑)ので非常に関心がある時事ネタです。 

 

各種世論調査でも選択的夫婦別姓への反対派は少数派になっていますが、強硬な反対派の存在(特に一部の与党議員など)もよく知られているところ。

賛成派や「関心はないが別に反対でもない」派にとっては、なぜそんなにも必死になって反対するのか不思議でならない、と感じる人も多いでしょう。

だって、「選択的」夫婦別姓制度は、同じ姓でいたい、同じ姓を選びたいカップルには何ら影響を与えない制度のはずなのですから。

自分に別に影響がないのに、なぜそんなに他人がどういう姓で生きるかについて必死に反対する必要があるのか?不思議ですよね。

 

よく反対派の論拠とされるように、本当に家族がバラバラになるのかだとか、まして彼ら自身の損得だとかを考えていても不可解なままです。

そうではなく、これはアイデンティティの問題だと考える必要があるでしょう。これをかなりざっくりまとめてみたいと思います。

古代から近世頃、部分的には20世紀までは、世の中にはどの国にも地域にも大概「大きな物語」というのが存在しました。それは古代から中世は多くの場合宗教だったでしょう。身分制や文化慣習、地域の掟の類も含みます。それを疑わず、依って生きていけば安心できて、善き人生、価値のある人生を送る(と信じる)ことができ、守られ死後の名誉や幸福も保証されるような、いわば「(当人たちにとっての)世界の枠組み」です。

しかし、現代の社会では世界中の情報が入手でき、何もかもが多様化し、科学があらゆる方向性に高度に発展し日常生活に入り込んでおり、そんな局地的な価値観の体系である「大きな物語」は説得力を失い、多様性の尊重という新たな人権原則の下にむやみとそのうちの一つの物語を強いることもできず、衰退していくわけです。

現代人の多くが、特定の「大きな物語」になしに生きることになりました。特に、物事を突っ込んで考えるタイプの人間は、局地的な「大きな物語」が局地的であって絶対的な真理ではあり得ないことから目を背けることは無理でしょう。

しかし、「依って生きる大きな枠組み」がないと足元に穴があいたような不安感に苛まれる人は多くいます。つまり現代でも人は時に宗教を信仰し、地域や民族の世界観を強く信じ、それを誇りともし寄る辺ともして生きていくわけです。

日本人の一定数の人々にとって、その「大きな物語」こそが先祖→自分→子孫という生命観、その軸を核とする「家」(夫婦機軸の西洋的ファミリー観とも違う、家系観)であるといえます。

法律上の「家制度」はもう無いんだよとかいう問題ではないのです。彼らにとってこれは、依って生きる「大きな物語」、つまり世界観なのですから。

「そういうのは色々ある多くの世界観の一つだけど、あなたがその信念で生きるのは尊重するよ!」と言われても彼らはちっとも嬉しくありません。

なぜなら、それは個人的な意見や趣味嗜好でチョイスした多数のうちのひとつであってはならず、絶対的な存在でなければならないからです。少なくとも「日本人にとっては真理の物語」である必要があるのです。

色々あるうちのひとつだなんて、「大きな物語」が「大きな物語」であることを否定されているに等しいので、絶対に許すわけにはいきません。

冒頭の画像、20世紀少年という漫画のワンシーンなのですが、ごく簡単にいうと「ともだち」と呼ばれる正体不明のカルト指導者のような怪しげな人物が段々世界を支配していき、その謎を追う、みたいなストーリー。終盤で「ともだち」派の女が、「あなたは洗脳されていたんだ」と主人公側(謎追求側)に言われて返す言葉がこの画像のシーンです。

 実際は洗脳されている側が客観的にこんな心理を言語化できたりはしないでしょうが、非常に興味深く印象に残っていたシーンです。

 

 同じ姓を名乗り男女の夫婦で子供がいる家族。先祖から受け継いだ命を子孫につないでいく。

 

この枠組みは「本物」だ!そうでなければ自分の人生は何だったんだ!

 

と。これが唯一の「本物」でなければ自分と自分の人生に価値を与える核たる部分が揺らいでしまう人々がいるということです。(あ、この場合は別に洗脳ではないですよ)

だから、自分の人生や家族に具体的に何か影響を与えるわけではないはずの、赤の他人が別姓で結婚し日本で家族として認められる、ということを全力で阻止にかかるわけです。

 

必然的にそれは同性婚や選択的子なし夫婦に関しても同様となります。これを理解していなければ、議論は平行線でしょう。