「大きな物語」とアイデンティティと動物愛護

msr2do.hatenablog.com

こちらの前回の記事の続きです。

 

動物愛護団体(アフリカとかオーストラリアとかではなく、街中の犬猫の)は近年、犬猫の去勢避妊手術の推奨が主流のようです。

TNRという、野良猫を捕まえて去勢し、再び同じ場所に離して「一代限りの命を全うさせ、それを見守る」活動もよく見聞きするようになりました。

去勢避妊手術というと、シンプルに「可哀想」とまず思うのは人情でしょう。

しかし、「それしかない」というのが、手弁当で必死に動物のために活動するボランティア多数の結論であり、知れば知るほど、「やはりそれしかないね」と私も思います。詳しくはここでは省きますが、ネットにあふれる保護猫団体などの発信を読んでください。簡単に言うと、野良猫は多くが「貧しく悲惨で短い」とホッブズの自然状態そのままのような生涯を送り、しかも繁殖力が非常に高いのでどんどん増えて(餌、水、縄張りといった)環境は負のスパイラルに陥るというわけです。
いうまでもなく猫は避妊などしないし、繁殖期には本能のままに交尾し繁殖します。しかし、多くの子猫が生まれても飢え、病気、争い、交通事故などで飼い猫と比べ圧倒的に短い命に終わるわけで。

愛護団体としては、「でも子を持つのが幸せのはず」とは到底思い難い現実を日々目の当たりにし、去勢・避妊手術をして見守るという結論に至っているのです。

しかし、これに「子供を持てない手術をするなど酷い、人間のエゴだ」と頑なな人々が少なくないようです。
もちろん意見は人それぞれで、より現実を見ている側が常に正しいとは言いません。しばしば、現実を見るあまり大局を見失う場合だってあります。
しかし、この頑なな人々の中には、恐らく自らのアイデンティティを反映させて犬猫の去勢・避妊を受け入れられない人が少なくないと考えます。子を持ち先祖から子孫へ命を繋いでいくことが何より生きる意味であり価値であるというアイデンティティを持つ場合、それはどんなに保護活動家が必死に野良猫の悲惨な状況について訴えても響かないでしょう。
その人々は、猫の「子を持てるが、貧しく悲惨で短い生涯」と「子を持てないが、より餌にありつけ、縄張り争いがマシな状況」を比較したうえで、前者の猫がより幸せである、と思っているわけではないでしょう。
子を持てない命を肯定することが、自分の人生の価値を損なうかのような意味を持ち得るため、受け入れ難いわけです。

「きっとこの人はどんなに悲惨な野良生活を送り若くして死んでいく猫が多いか知らないだけなのだろう」と思い必死に啓もうに努める保護活動家の皆さん、多分、そうではないと思います。

ではどうすればいいのか?個人的には、法整備を目標とした方が良いと考えます。