レビュー(映画)「この世界の片隅に」(ややネタバレあり注意)

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今日は映画のレビューをしてみたいと思います。

家人がレンタルしてきたアニメ映画「この世界の片隅に」。監督は片渕須直、原作こうの史代

2年前に公開されて非常に話題になり、現在NHKでテレビドラマ化もされているようです(もちろん、このドラマは見ていません・笑)

昭和9年から終戦翌年の昭和21年までの、主人公すずの暮らしと10歳頃から20歳頃?までの人生を描いた物語。

舞台は広島と呉で、この時代の庶民の暮らし、特に家事のやり方などが丁寧に描かれています。やがて戦争が大きく人々の生活に影響を与えるようになり、主人公すずにも悲劇が…。

 

この映画、とにかく評価が高いですね。

実際に見てみると、とても美しい作品だなというのがまず持った印象です。古い伝統的な暮らしや風習、家族や地域のあり方が柔らかく可愛らしい絵柄で描かれており、いくつもの悲劇が主人公たちを襲うものの、それらは悲痛で目をそむけたくなるような絶望だとか、歯を食いしばるようにして必死でその状況を生きているだとかいう様子では描かれず、どこかふんわりして詩的でさえあります。

ほとんど米が入っていない粥などの粗末な食事や、どこの誰とも知らない相手と結婚し、相手の実家に嫁入りするような描写があるものの、映画を見た我々現代人は「こんな時代に生まれずに良かったな」という印象は、あまり持たないように思います。慢性的な飢えも、死ぬかもしれないのに戦争に行くしかない民間人の苦悩も画面からリアルには伝わってこないし、知らない相手と結婚し舅姑小姑姪と同居の主人公は、夫と少年少女の純愛を成就させたカップルであるかのようです。

とにかく全編が美しく、ふんわり柔らかに描かれているからです。

この作品が、いかに日本人のノスタルジーを喚起するかは見ていてよくわかります。人気が出るのも当然でしょう。

 

しかし、この物語にノスタルジーを覚え称賛することには、やや危険にも感じます。本来、美化すべき時代ではないはず。

一体いつ満腹に食べられる日が来るのかわからない空腹の日々、いつ爆弾が頭上に振ってくるかもわからない毎日、女は知らない男と結婚し、(映画のように穏やかな善人ばかりではないだろう)舅姑と暮らして“孝行”することを当然とされ、男は勤め人や農家であってもある日突然「死ぬかもしれないが戦争に行け」と命じられ、拒否する選択肢もない…。

これまでの戦争映画というものは、こうした現実を平和ボケした現代人が忘れずに心にとめよう、というものが圧倒的に多かったと思います。

これらを、無視しているわけではないが、まるでそんな苦しさもあるかもしれないがそれでもほのぼの幸せを見失わずに生きていきましたとさ、という印象さえ持つのがこの映画ではないかと思います。

これを「古き良き時代」であったかのようにとらえ、大切な日本人の心だ、としみじみ見て良いものでしょうか。

また、玉音放送を聞いた主人公すずのセリフに、私は正直ゾッとしました。「最後の1人まで戦うんじゃなかったのか。まだ(戦える人間が自分含め)ここにいるのに」と叫びながら号泣するのです。

これは、それまで信じてきた価値観が虚構だったことに対する怒りや虚しさに対するセリフであり涙であるという、製作者の意図はわかります(本作のWikipediaにもそのような記述あり)。しかし、玉音放送天皇は、それまでの価値観をいきなり根底から覆すようなことは言っていません。

「もはや進退窮まったので戦争をやめます(負けます)。国民よ、つらいと思うが頑張ってほしい」

というような内容です。

これは、最近増えているように感じられてならない、やたら日本的なもの、伝統、天皇制、果ては軍国主義すら肯定し、リベラルな言説を「反日」というレッテルで攻撃するやや歪んだ愛国主義者(特にネット世界に多数出没)に好ましく受け取られるシーンのように思えてなりません。

 

まとめますと、この作品はとても美しいです。しかし、この美しい情景と物語に喚起されるノスタルジーに浸ることには、ちょっと危険も感じるところです。

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