若手研究者の受難

今朝、モーニングショーという情報番組で、日本の研究水準の低下(論文数や引用件数の減少とランキング下降)を大学教員の待遇改悪に結び付けて特集していました。

番組によれば、日本の研究費(国費)は米国や中国の半分以下。特に、実用性のあるものばかり重視され、基礎研究が軽視されています。また、研究者としての若手のポスト(職)が減り、また減っているだけではなく不安定化している、つまり、数年の任期付きのポストばかりで数年後に自分がどうなるかわからない状態に置かれている若手研究者が非常に多い、といったことが紹介されていました。

番組で焦点を当てられていたのは主に理系でしたが、文系も同様の状況です。

 

なぜ研究者のポストが減らされているのか、それは単純に資金がないというのが要因でしょう。

では、なぜ任期付きが特に若手向けのポストこんなにも一般的になっているのかというと、流動性を高めることでアカデミアの世界を活性化し、怠けて結果を出さない研究者がポストを得られず、優秀な人が報われる形を国策として作ろうとしたから、なんですね。

そう聞くと「良いことじゃないか」と思われそうです。

しかしね、研究とは「筋トレしてたら確実に少しずつ筋肉がついていく」というように、必ず着実に成果が出るものではありません。わからないことを明らかにしようとするのが(原則的に)研究なので、確実に成功するとわかっていることしかやらないのであれば、それはもはや研究ではないといえるでしょう。また、よく言われることですが、すぐに目に見えた結果が出る研究ばかりではないのです。長い時間を要して、価値ある結果に結びつく研究がたくさんあるのに、それらの可能性を潰してしまうのはあまりに軽率です。

しかし、成功して着実に順調に業績を上げなければ、職を得られない、あるいは失うかもしれない、とすればどうでしょうか。

 

・優秀な人が研究者になるのをやめる

・手っ取り早く確実な結果が出て見栄えの良い研究ばかり選ぶ研究者が増える(これは必ずしも望ましいことではありません。研究されるテーマや領域が偏り、安全パイなつまらない研究ばかり行われることになるかもしれません)

・研究どころではない状態になり、それ以外のところ(経営者にすり寄るなど学内政治に汲々とする、雑用にばかり精を出して役立つ労働者であることをアピールする等)で努力してポストを確保することに必死になり、研究しなくなる

・愚直に研究を進めるも、不安と焦りが募りすぎて精神的健康を損なう

・(最悪の場合)某OH女史のように、研究結果を偽装する

 

・・・こうしたことが続出します。

そもそも研究者の流動化促進が望ましいといういえるのは、研究者が必ず一定数新しく供給され続け、自分の食い扶持や人生(結婚、住宅購入、子供を持つ等)など考えずに黙々と研究し、ふるいにかけられたら何の抵抗もせず諦めておとなしく脱落していく(人生そのものを諦める…?)、そんなゲームのコマのような人間を想定した場合のみではないでしょうか。

一人ひとり人間なのです。

研究は好きで意欲があっても、自分がこの先生きていけるのか、人並みの人生を送れるのか、そういったことだって当然重要です。

研究者を脱落したら他の仕事をすればいいじゃないかって?

日本は職の方向転換に厳しい社会であるのは今さら指摘するまでもなく、更に博士号持ちの人間というのは、敬遠される傾向にあります。

自分の分野とまるで関係のない、例えば「短大か四大卒以上」という条件の募集の職があったとして、博士は企業にとって「四大卒以上に含まれるので、OK」とはならず、「面倒くさそうでしかも年ばかりとっている人材だ、避けよう」となってしまうわけです。

この方針が見当違いであることに早く政府や文科省は気づいて欲しい。

もはや私の年代には間に合わないかもしれませんが。

今日も一通公募の不採用通知を受け取った任期付教員の叫びでした・・・(笑)

 

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