冷静に話し合いたい

msr2do.hatenablog.com

先日、こんなブログを書きましたが、学術会議問題、なんだかますます学術会議の方が批判の的になっている気が。

しかし、今回の問題の本質からズレた批判ばかりですし、学術会議、というか学問界が好かれていない印象がすごいですね。

「なんで?」「嫌われるような存在ではないはず(挙げられている理由はいずれも恣意的な個別的理由のピックアップで全く説得的ではない)」と思うと同時に、まあ、よくある現象だよなとも思います。

4年前のアメリカ大統領選挙の際にも感じましたが、(アメリカの)外から見ていると、なぜそこまで嫌われる?と首をかしげるヒラリー・クリントンの嫌われぶりは、メール問題などは本質ではなく、いかにもなエリート層、特にインテリだからだったそうで。

安倍・菅政権の支持層、それも、政策というより伝統や外交面での保守的・ナショナリストな立ち位置に共感を覚え自尊心をバックアップされる層にとって、いけすかない知的エリート層がろくにカネも生み出さないくせに大好きなナショナリスト指導者(菅氏)を批判することが許せない、ということなのかと。

 

こういうことを書くと世間の半数ぐらいから嫌われてしまうのでしょうか。好きなことを書くためにあえて匿名にしているブログなので何でも書くまでなのですが。

 

しかし、問題を冷静にとらえて論理的に批判するなり受け入れるなりしましょうよ、と言いたい。敵と味方に分かれて全肯定・全否定みたいになってしまってやしませんか。

学術会議に今回の件とは全然関係のない問題が多少なりあったとして、それで任命拒否問題が正当化されるのはおかしくありませんか。

 

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ところで、足立区の区議が、「世の中の全員がLGBTだったら次の世代が滅ぶ」「だからLGBTの人々を法律で守るべきではない」「普通の結婚をして子供を産み育てることの大切さを教えるべき」と発言していることが話題になっていますね。
この論調、時々目にしますが、なぜ「全員そうなると滅ぶ」という発想につながるのでしょう。
LGBTは流行や時世でなったりならなかったりするものではなく、基本的に本人の意思と無関係なものなのでは?
つまり全員そうなることはあまりにもあり得ないにもかかわらず、なぜ「全員がそうなったら」なのでしょう。
そしてついでに、もし「全員がそうなったら」を考えるならば、各女性が3人以上の子供を産むとすると、「全員そうなると数世代で危機的な人口過剰となる」とはなぜ誰も言わないのでしょうか?
理屈で言うならそっちも検討していただきたい。

「それは物のたとえであって」みたいな反論が聞こえてきそうですが、じゃあなぜ「法律で守るべきではない」のでしょうか。それ以外には特に根拠が見えてきません。

理屈でないなら、「単に伝統的な家族観に反するので感情的に受け入れがたいのだ」と言うべきで、理屈で言っている風を装うべきではありません。

一つ一つの問題を冷静に議論しあう世の中にしましょうよ。