ジョーカー(映画)

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勧められて見てみました。

バットマンの悪役であるジョーカーが犯罪者というか、悪のカリスマ(?)となるまでの物語だそうで、バットマンを見ていないのでよくわからないかもしれないと思いましたが、とりあえずその点は問題なしです。未見の人でも楽しめます(楽しい映画かどうかはさておき)。

アメリカ映画のヒーロー物は勧善懲悪、悪には同情の余地なし、という形が多いですが、この映画は主人公アーサー(ジョーカー)の恵まれない境遇の描かれ方がなんともリアルで生々しく、陰鬱な気分になります。
彼は古びたアパートに老母と二人暮らしの中年男。公共の場でも構わず突然発作的に笑いだしてしまうというハンデを抱え、不器用で要領が悪いながらも、ピエロの仕事をしています。
ピエロの振舞いやダンスはなかなかサマになっていて上手く、仕事ぶりもまじめ。
ですが、彼の人生はままならず。
貧しく認められることもなく、それどころか悪質な少年たちのオヤジ狩りのようなものの被害にあったり、気味悪がられたり、老母が昔の雇い主に必死に救いを求めるが無視され続けるのを日々目の当たりにしながらなだめなければならなかったり、挙句の果てにはピエロの仕事をクビになってしまいます。

80年代のアメリカが舞台ですが、現在の日本にもおおいにありそうな生々しさ。
それなりにまじめに働いているけれど貧しく、何か特別非があるわけではないけれど認められず、社会の中で尊重されることがない。
「もっと他にやりようがあった」「もっとこんな風に努力すれば違った」「もっと厳しい境遇でも前向きに頑張っている人もいる」「だから自己責任だ」という批判にさらされるのが目に浮かぶような境遇です。

そういった人々の「まっとうに懸命に生きようとしている筈なのになぜこんなにも希望がないのか」という悲痛な閉塞感がひしひしと伝わって来るようです。
先進国には一応存在する種の救いやセーフティネットは形ばかり。予算カットという現実の前にあえなく消え。

不器用ゆえに、「あぁ、なぜそこでそんな行動をするかな」という愚かさはあるのですが(特に、護身用の銃を仕事先の病院に持っていってしまったこと)、それは「賢明さが少し足りない」のであって、希望を全て奪われるほどの非とは思えず。

やや話がそれますが、時々見ているあるブログに、8050問題(80代の親が年金で50代の引きこもりの子の生活を支える問題)についての記事があり、そこに非常に印象的なフレーズがありました。ちなみにブログ主はこの問題の当事者ではなく、いつも色々な社会問題などの分析記事を書かれている人です。

 

彼らのことを放置していいわけがないのです。

「いっそまとめていなくなってしまえばいいのに」とか思います?そう思うのはまあ自由ですけど、大人しくひっそりといなくなると思っているなら甘いですよ。その時にはあなたも道連れです。自分だけ逃げれると思うなよ。

blue-black-osaka.hatenablog.com

いや、本当にそう。
自己責任論で「はい、論破」という気になっている人やナントカえもんさんに同調する人はこれを考えた方がいい。
人間から、特にまっとうに懸命に生きようとしている不器用で弱いだけの人から希望を奪うことで、都合よく彼らが諦めて消えてくれると思うのは非人道的であるだけではなく、社会にとって危険でもあります。まっとうに生きても何の得もなく希望もないなら、やけっぱちになってめちゃくちゃやった方がマシだと思う人が何割か何%かか出てきてもおかしくない。これでいきなり連続殺人犯になったジョーカーは極端な例にしても。
そんな世の中であってはならないと思うし、「べき論」に同意できなかったとしても、そんな世の中は大きな危険をはらんでいると思います。