卒論指導に疲弊する

卒論も大詰めの季節がやってまいりました。

今年は例年にも増して疲弊しております。今年の学生たち、10名ほどなんですが、結構曲者揃い。

今日は完全に愚痴です。すみません。

偶然そろったというより、ゼミ内の雰囲気がそうなってしまってつられている学生も含まれると思いますが、とにかく態度が悪い。昨年度からなんですが、この時期まで来てもこんなにも態度が悪い、まあ、自省を込めていえば信頼関係が築けていないのは、ゼミというものを持って何年も経つものの、基礎ゼミなどを含めても初めてのことです。

挨拶をしても、返事も会釈も、目を合わせることもなく通り過ぎていく(教室の場合はその場で完全に無視)学生が数名。教員に対しその程度の態度をとる若者など珍しくもないか、と思い、淡々と返事の来ない挨拶を続けていました。

愛想は良い学生も数名いるのですが、真面目に卒論に取り組んでいる学生約4名(態度が悪い者との重複あり)、態度が悪くかつ卒論に真面目に取り組まない学生約4名、愛想はいいが真面目に取り組まない学生2名、という感じ。

 態度が悪くかつ真面目に取り組まない学生は、プロセスを見ながら細かに執筆(部分的)や資料探し、データのまとめ等の指示を出しても、全く聞かずにちゃんと進めていない。「〇日までにこれをやってきてください」「〇日までに現状を報告してください」などを、完全に無視するんですよね。

かといって、自分のペースで着々と進めているかと思いきや、全然進めていないのです。

私も驚きましたが、卒論というものをもっと簡単なものとイメージしていた様子。さんざん説明してきたのに全く伝わっていません(涙)

もはや諦めに似た心境で、彼らはもしかすると、卒論は書かないつもりなのかもしれないな(それでも卒業は可能)、では、手取り足取り個別にくどくど言うのはよそう。彼らも大人なのだし、一度ならずするべきことを順序だてて伝えているのだから。

と考えていたのです。

しかしこの時期に至って、どうも全員が卒論の単位をしっかり期待していたことがわかりました。

こんな時期まで真面目に取り組んでこなかったので、もはや間に合わないのでは?という学生含め、当然、指導は厳しいものにならざるを得ません。これまで真面目に取り組んで来ず、挨拶すら返さないという態度をとってきた彼ら、教員(私)に厳しい態度をとられることが驚きでありショックだったようです。(厳しいといっても、不十分な点(多数)を淡々と(フォローやおだてることなく、特に意識的ににこやかに優しい口調にすることなく、真顔で冷静に)指摘しているだけなのですが)

「こんな、ヒドイ・・・!」「あたしの気持ちも考えて」「頑張る気が起きない」みたいなことを言ってくる学生が複数いて、逆にこちらが驚きました。

自分は挨拶すら無視し、丁寧に順を追った指導を無視して全然取り組まず、それでも厳しい指摘のひとつもなく機嫌良く卒論を書き終えられるつもりだったとは。

というか、こちらは仕事であり、彼らはある意味お客さんではあるかもしれませんが、それでも人間同士、大人同士として、こんな態度を相手には取っておきながら、またやるべきことを単にサボっていながら(就活でこの時期まで切迫していた学生はいない)、自分は気分良く楽になんとかしてもらえると信じて疑わないとは、きっと彼らは、まだまだ「守られるお子様」気分なのでしょうね。

恐らく、働く大人や親に対して、同じ目線で見ることができていない。「守られる子供」は未熟でわがままでも良く、働く大人や親はそれを許容するべきだ、というような認識をなんとなく感じます。

 

実は卒論指導は今年度で最後になるかもしれないのですが(転出先では卒論がない)、少し寂しいですね。