光陰矢の如しなアラフォー

後期の新しい授業の準備もたっぷり残したまま、八月も終わりが見えてきた今日この頃。

いやはや、私はいつになったら、「来学期は新しい科目の準備をしなければ」という「授業準備に追われる長期休暇」から脱することができるのでしょうか。弱小私大あるあるかと思うのですが、教員の入れ替わりが激しく、またやたらと改組したりカリキュラムをいじってみたりするので、科目担当が安定しないのです…。もちろん、常に全部一から作るわけでもないのですが、この負担が結構重いんですよね。常勤職に就いて以来ずっとこの状態。

「来学期の授業準備は気づいた点の改善とアップデートだけ」「あ、少し新たな試みをやってみようかな」という、余裕のある長期休暇を過ごしてみたいものです。

 

そんな風にしているとあっという間に半年あるいは一年サイクルの時間が過ぎていくのですが、時々ふと立ち止まって思うのは、学生たちにとってはそうではないということ。

例えば入学してきてから半年という時間は、「大学デビュー」という言葉もあるように別人のように変わっている学生もいます。半年ぐらいの時間で、友人関係やカップルの関係が目まぐるしく動くこともあるようです。私が過ごしている半年と同じ時間のはずなのに、驚くべき密度です。

ほんの2か月ほど前の課題に言及したところ、「うわ、懐かしい!」と言った学生がおり、「懐かしい」という言葉がでることに驚いたことも。

あ、もしかすると私にとってあっという間の授業時間90分も、彼らは数倍の長さに感じているので、寝てしまったりするのでしょうか?(いや、それは違うだろう)

 

しかし、そんな風に時間を過ごしていてはもったいない。時間を大切に過ごさなくてはとしみじみ思います。何でこんなことを考えているかというと、二、三年ぶりに親戚の子供に会ったせいでしょうか。未だに小学生ぐらいのイメージが強いのに、もう16歳だということで、スマホのトラブルでわからないことをさっと教えてくれたりもました。スマホ歴は私より短いはずなのに。

 

こんな風にしているとあっという間に60歳ぐらいになりそうです。

やりたいことを「まあ、いつかそのうちに」と思わずにやっていくことにしましょう。例えば、以前から漠然と思っていたことですが、本場の阿波踊りを見に行ってみたいものです。東京のどこかで小規模なデモンストレーションをやっているのをみたことがあるのですが、本場で見に行ってみたい。