教育困難大学の期末試験で新しい手法を試みてみた
7月も今日で終わりですね。夏休み、科研費の研究をなるべく進めたいところですが、どうなることか。
いくつか飲み会の予定が入っているので、それはそれで楽しむこととしましょう。
教育困難大学の任期付教員として着任して数年になりますが、成績評価とゼミの進め方に関しては、未だ毎学期模索中といったところです。
成績を「きちんと厳密に」評価をすることは非常に手間がかかります。正直いって、周囲を見ているとあまり「きちんと厳密に」やっていない教員も多いようです。例えば欠席が多い学生は問答無用で不可とする、としていても、自己申告の風邪などの体調不良、部活の試合(時には試合前のただの練習さえ含む)などでの欠席を、やや配慮するとしても出席したことと同等には扱わないように私はしていますが、そうするとその分、「要配慮欠席」を別個に扱わなければならないので、その分手間です。
就職活動での欠席は何らかの証明があれば配慮するとすると、多くの学生が何枚もの「証明」を提出し、それを管理するのもまたかなりの手間となります。
一見大したことがないように思えるでしょうが、数が多くなり、バラバラに持ってこられたりもして、本当に手間なのです。
「いいよいいよー」と確認もせず適当にその場で名簿に「出席」の丸をつけてしまえば大分楽になりますし、更に「出席なんてどうでもいいよ、期末試験一本勝負」とすれば非常に楽ちんです。
期末試験一本勝負派の教員は、では公正に努力や学びを評価できるように試験問題に創意工夫を凝らしているかというと、そうでもない場合も多々見聞きします。一行の問で論述回答式、しかも「ろくに答案なんて読んでいない」と言い放つ教員もいました…。
レポートにしたって、書いてある情報が正確なのか、コピペではないのか確認するのは相当な手間です。確認せずに素通りなら、どれだけ成績評価の仕事量が減ることでしょうか(なので、私はそもそもレポートは課しませんが)。
課題は簡単に分類すると
・科目の内容をきちんと学んだ学生のみが単位を取れる形を作りたい。
・成績評価に関する仕事をスリム化したい。
ということです。
この目的で今学期、試みた試験形式が、なかなか良かったように思います。
どういう形式というと、
・授業はレジュメを配布し、それに従って進める。
・期末試験は自筆ノートのみ持ち込み可。
・期末試験の形式は全問マークシート。
授業にレジュメを配布せずにゼロからノートを取らせると、教育困難大学の学生は果たしてどうするのでしょうか?板書を写すことなど諦め、「何もしない」を選ぶ学生が驚くほど多くなります。
よって、レジュメは必要です。
しかし、期末試験でレジュメの持ち込みを可とすると、レジュメから書き写すだけの試験になってしまいかねません。
持ち込み不可とすると、彼らの能力的にそもそもまともな試験を作れません。
この折衷案が、「自筆ノートのみ持ち込み可」なのです。
意外と、多くの学生は必死にノートを準備して試験に持ち込んでいました。ノートを自分なりにまとめた学生は非常に勉強になったでしょうし、レジュメの丸写しであっても、それはそれで多少の学びになっているはずです。
そしてマークシート。これは言わずもがな採点の手間が激減します。大学の試験なのだから論述ぐらい課さないとという意見も聞きますが、そこは工夫次第で意義ある問題を作ることは大いに可能かと思います。特に、教育困難大学ではまず学生の文章に読解困難なものも多く大変な手間ですし、論述を課す価値のあるような回答がなかなか出てこないのです。単に単語を選ぶだけというような問題にならないよう、作問に工夫は必要でしょう。しかし、全問毎年ゼロから作るわけではないので、それでも採点の手間が激減する方がありがたいです。
来期は全科目この形でやってみることとしましょうか。