教育困難大学の教育に疲れる
お久しぶりです。
割と始めたばかりだというのに、1カ月近くもブログを放置してしまいました。
コンスタントに更新していこうと思っていたのに…。
しかしまあ、無理をしても続きませんので、これでよしとしましょう。
理由は、論文の締め切りに追われているところに、容赦ない予定外の雑用(校務)がふりかかったりしたためです。
ところで私は、任期付きのポストで教育困難大学に着任して数年になります。
せめてまじめに勉強している学生が報われるような評価をしたいと考えて努力してきました。例えばきちんと出席し、授業を聞いているかを見る。受講生の数が3桁越えという科目も珍しくない中、これ、実は相当手間がかかる作業です。
そして、授業内容をしっかり学んでいるかを判断できる期末試験やレポートを作る。これもね、レベル、満遍なく15回の授業内容をどう反映させるか、レポートの場合はコピペをどう防ぎ、授業内容を学んでいなければ書けないようなものにするか…。本当に大変なのですよ。
そして毎年同じでは先輩に聞くなどして対策を講じられてしまいますので、ある程度変える必要もあるのです。
水準の高い大学の教員は、こんなことはナンセンスだと感じるかもしれません。
大学の教育とは、学生の学び方とはもっと自由なものだと。
しかし、教育困難大学でそれをやると、本当に何も学ばず、要領よく単位をとる学生たちが何の向上もないまま、実質勉強らしい勉強を全然せずに卒業していきます。
そんな学士ってどうなんでしょう。
もしかしたら学生たちは、私のような教員は厳しくて意地悪だと思い、「好きじゃない教員」に分類されているかもしれません。しかし、そういう教員の方がよっぽど学生のことを思い、教育という仕事に真摯に向き合っているのだとわかってもらいたい。
…しかし、そんなことを言っておきながら、最近、もういいんじゃないかと思っているのも事実です。
同僚の何人かの先生方(ベテランに多い)のように、出席しようが欠席しようがそんなことは全く考慮せず、毎年同じマークシート式の期末試験をするか、一行の問いのレポートを課してコピペ確認もせずにさらっと読んで成績をつける。
そんな教育をしていればどんなに楽でしょう。
ゼミなんかも、専門分野の研究、発表の仕方、資料の使い方、卒論の書き方など、彼らの水準ではないのだと諦めて、wikipediaをコピーした趣味に関する発表を「よくできたねー」と流し、雑談で時間を埋めてもいいのではないか。
ああ、でもこうして文字にすると、やっぱりダメだと思えてしまいますね。
特に、こういうことはできないと私を押しとどめるのは、自分の教員としてのこだわりと、10%くらい存在する、ちゃんと学んでくれる学生たちでしょう。
さて、今月もがんばっていきましょう。