飯塚幸三とエルサレムのアイヒマン

池袋暴走事故の地裁判決が出ましたね。禁錮5年の実刑判決。
まあ、恐らく控訴するんでしょうね。最高裁までいけば、判決がどうなるかにかかわらず更に何年も在宅のままで過ごせる状況なわけで。それまでに、こういってはなんですが天寿を全うされるかもしれませんし、更に高齢になって実刑判決が出ても執行されないかもしれないので。

ところで、以前から思っていたんですが、この飯塚幸三、誰かを思い出しませんか。
誰かといってもタイトルでバレバレですが、エルサレムアイヒマンです。

ナチの役人で、ユダヤ人絶滅作戦に深く関与したドイツ人です。戦後逃亡し、1960年になって捕まり裁判にかけられ、死刑となりました。
哲学者ハンナ・アーレントがこの裁判について本を書き、非常に有名になっています。

思い出すといっても、元官僚とか、裁判にかけられたことが似ているというのではありません。
似ているのは、「自分がしでかしたあまりに大きな罪に全然ピンと来ていないところ」です。

詳しくはアーレントの著作を読んでいただきたいですが、彼女はこのアイヒマンという人物が悪魔のような人物だから平気で多くの人間を虐殺する計画にせっせと参加したのではなく、それをリアリティをもって想像することもできない、ただただ組織の中で出世したい認められたいというような小さな欲望のために動いていた凡庸な人物なのだと述べ、当時世界に衝撃を与えたようです。絶滅作戦に深く関与したナチの役人など、悪魔のような人物だと世界は思っていたわけですから。

池袋の事故は事故つまり過失なので、故意にやったアイヒマンとは、「なぜやったのか」はもちろん決定的に違います。
そして小役人だったアイヒマンに比べて飯塚幸三の経歴はあまりに輝かしいものです。

しかし、この不気味なまでの「他人事感」。「ピンときてなさ」。やはりアイヒマンを彷彿とさせます。
「事故からの二年、あなたはどう生きてきたか」と遺族に尋ねられ、「病気になって、毎日リハビリしてましてね、しんどいです」とかいう恥ずかしい珍回答をやってのけたのも鮮烈に記憶に残っています。

どうやったらこんな風に自分のしたことを実感せずに都合よく解釈して、というか感じて、しれっとしていられるのか?
百歩譲って本当に車の不具合だと(自分がどのペダル踏んだかももはやよくわからず)彼本人は信じていたとしても、自分の起こした事故で多くの人が死傷した事実はあるというのに。

アイヒマンだけ見ると、それなりにナチの中で地位を得て働いていたとはいえ、ただロボットみたいに働くだけのアホの子だったのか?と思ってしまえないこともありませんが、飯塚幸三の経歴を見るとそうは思えません。
賢い人間、普通の人間でも、こういうことってあるんでしょうなぁ。
この世界で唯一の知的生命体なんて言われながら、人間てこの程度の生き物なんでしょうか。
ものすごく酷いことをした本人が、(しかも理解不能な狂信者や悪魔的人物でなく、普通のまともな人、あるいは立派な人が)きょとんとして、「え?僕が悪い?いやいや」と心から思っているというようなケースが、当たり前にあるものなのでしょうか。

 

彼らは「認識しているが後悔したり被害者に同情しない」という共感性の欠如したサイコパス的な人間なのでしょうかね?しかし共感性が欠如しているのが原因なら、事態の認識はもっとちゃんとしているはずなのでは?素人なのでその辺は全然わかりませんが。