アフリカのトロフィー・ハンティング

大変興味深い記事を読んだのでちょっと紹介します。

synodos.jp

簡単にまとめると、数百万あるいは1千万円というような高額を支払い、アフリカに野生動物を狩りに来る欧米富裕層の観光客がいる、その功罪は、というような内容です。

経済的観点から見ると、わずかな野生動物と引き換えに大きな外貨収入となり、win-winだね、めでたいね、ということらしいですが、アフリカ地域研究者である筆者は、実は地域住民の生活に制限を課すことになったり、思ったように地域に貢献されていないなど負の面も大きい、と指摘しています。

そもそも私は釣りすら興味がないタイプなので、数百万という大金(彼らにとっては端金なのかもしれませんが)をかけてわざわざ動物を狩ってみたいという気持ちがわかりません。

世界的にも動物であってもむやみと殺すことに賛同する意見は少数派になってきているといえるでしょう。個体数の少ない野生動物だけでなく、猫や犬の保護、愛護活動も日本はじめ先進諸国では活発なようです。

そんな中で、経済的に効率的、合理的だからという視点に立ってトロフィー・ハンティングツアーを積極的に行うというのは、筆者が指摘した以外の問題もあると思います。

いくら、「これは例外的な政策だから」「経済的に合理的で得られるものが大きいから。通常はダメだから」と述べたところで、認められている場合があるという情報が広まれば、意識的無意識的に「動物の命はむやみに遊び半分で(食べるのに必要だというわけでもないのに)奪うべきではない」というロジックが一般の人々の心に共有される上で、大きなブレーキになると思います。

例外があるという認識は、トロフィー・ハンティングと全く別のケースでも、「でも自分の場合は〇〇だから例外としてカウントされ得るのでは」という理由付けの補強材料ともなってしまうでしょう。理由があれば許される”程度”のことだという感覚を与えてしまいます。

こうした目に見えない影響は、軽視できないものだと私は思います。

野生動物保護という世界的潮流に歯向かう気がないのであれば、例外は作るべきではないと思います。

私は特に動物保護派ではありませんが、やはり食べたり、自分の生活を(害獣・虫から)守ったり、何かに利用する必要があったりという目的外でむやみと殺すことには嫌悪感を覚えます。

とはいえ、昆虫の収集やバスフィッシング(あまり食べない)が普通の趣味として受け入れられていることを思えば、哺乳類以外ならいいのか、だとすれば、何故なのか、という問いも生まれ、何やら哲学的な領域にまでなってしまいそうなのですけどね。

 

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