教育困難大学の卒業論文
私の勤務先は、いわゆる、教育困難大学だとか底辺大学だとか呼ばれてしまう部類に入ります。
半数以上が、推薦やAO入試で、学力を実質的に問われることなく入学してくる学生たちです。アラフォー以上くらいの世代の皆さんにとって推薦とは、何か特技があったり、資格があったり、高校の成績がすこぶるいい学生のための制度だというイメージではないでしょうか。
実は、まったく違います。いえ、上位大学にとっては現在もその通りでしょうが、なぜ底辺大学まで推薦やAOをやるかというと、入学者を確保するためなんですね。
そんな彼らに卒業論文の指導をしている現在、この時期はもう最終段階ですが、へとへとです。
例えば、文末形式というものを全く理解していない学生がいるのではないかと最近気づきました。
「~でした」と「~であった」、「~います」と「~いる」が違うタイプの文だということを、どうやら認識していないようなのです。
なかなかの驚きでした。もはや、私が卒論指導でどうこうできるものでもない気がします。