104歳の研究者、安楽死へ
結構注目度が高いようで、このニュースは数日にわたってあちこちで目にしますね。
104歳になるオーストラリアの研究者デービッド・グッダルさんが、希望していた安楽死を実現するため、クラウドファンディングで得た資金でスイスへ旅立ったそうです。
この記事に関するコメントも、いくつも読みましたが、否定的なものは見当たりません。安楽死って、結構市民感情的には既に受け入れられる素地があるのではないかと思うんですけどね。実は何度か学生たちに「安楽死合法化の是非」をテーマにディベートをさせたこともありますが、合法化反対チームは賛成チームより意見を出すのに苦労していました。たった数十人の例に過ぎませんが、私の授業では若い学生たちも安楽死賛成派が圧倒的でした。
私も安楽死は賛成です。
自分の場合も、大きな苦痛を伴う不治の病だとか、QOLの著しい低下だといった状態になったら、安楽死を望むかもしれないと思います。
しかし、安楽死に関して難しいのは、自分のであれ他人のであれ、死を目の前にした時の理屈抜きの感情ではないでしょうか。
例えば普段は野生動物に無闇に手を出すべきではないという考えに賛同している人でも、目の前に親とはぐれた弱った動物の子供がいて、助ける手段を知っていたり、近くの動物病院に運ぶ手段やお金があった場合、「何とかしてやりたい」と思って行動に移すことは奇異でもなんでもないと思います。
やはり目の前で消えゆこうとする命を救う手段が存在する場合、「しかし、自分は自然死は受け入れるべきという信念だから」「もう治らず苦痛があるから」と淡々と思えて、全く揺らがないとは限りません。
そういう決断をしたとしても、思ったより辛く悲しい決断だった、という場合だって少なくないでしょう。
だから安楽死や尊厳死の議論は遅々として進まないのではないかと思います。
とはいえ繰り返しになりますが私は決して、だから安楽死は認めなくてよい、というわけではありません。議論や法整備が進まない要因の推測というだけです。
このグッダル氏の例も、まして彼は生態学者なのです。生き物の生と死を研究してきた人がこうした決断をしているというのも、何か示唆深いではありませんか。
ところで、このグッダル氏、著名な研究者で、100歳を過ぎても大学に所属しごく最近まで研究を続けていたそうです。
それなのに、クラウドファンディングで資金を募らないと百数十万円程度のお金がなかったのでしょうか。
下世話というか余計なお世話だとは思うのですが、何気に、その点がすごく気になりました…。
さすがに高齢ですし、無給研究員か何かだったのでしょうか。老後資金を蓄えたと思っていても、104歳までとは想定せず、尽きてしまったのかもしれませんね。
しかし、やはり多くの国で研究者というのは経済的にはあまり恵まれていないんでしょうかね。