共通テスト鼻マスク問題。行き過ぎたコレクトネスへのうんざり感が分断を招く…

 

のかもしれない。

 

うーん、続報続いてますね。

共通テスト(かつてのセンター試験)で、ある受験生が鼻を出した状態でマスクをしていて何度も注意されたが従わず、失格となったという出来事。

これに対して、脳科学者M氏がこの対応をした試験監督者をボロクソに言い、受験生への配慮があるべきだったと主張したことなどが話題になりました。他にもM氏側の意見がたくさんあったのかわかりませんが、それほど熱心にこのニュースを追っているわけではない私がみたところ、断然M氏が目立っているようです。

彼の主張は要するに、「この受験生がマスクを鼻までしっかりつけられなかったり、指示されたことに素直に従えなかったりする特性があったのかもしれないのに、杓子定規に過剰な罰を与えた」と、大体このような論調です。双方をフォローするのではなく、監督者のことは結構ボロクソに言っています。

M氏に同意する意見はもはや少ないよう。

「もう引っ込みがつかなくなってるんだろう」というコメントも見かけましたが、そんな気もしてくる彼の様子。

私も正直、第一報のヘッドラインで見た時は「えっ!過剰では!?」と驚きましたが、続報を見る度に、この対応は過剰ではなく周囲の他の受験生にかなり迷惑となっていたらしいことがわかってきました。

にも拘らず、M氏は(もう沈黙すれば良いのに)延々主張を続けるものだから。

 

ちなみに続報は以下のようなものがありました

・かなり咳をしていた(「わざとらしく」とのコメントも)

・3科目(半日ほど)の試験中、6回も注意された挙句のこと

・監督者の指示に従わなければ失格となると警告が事前にあったのに尚従わなかった

・その受験生は49歳

・最後はトイレに数時間立てこもった

・他の受験生は最終的にはこの人物(鼻出しマスク男49歳)以外別の教室に移動してリスニング試験を受けることに

 

ちょっとイレギュラーなことがあるだけでも心がざわつき、本領を発揮できない受験生もいるでしょう。そう思うと同じ教室にいた受験生たちがあまりに気の毒です。

「年齢で人を判断するのはエイジズム。問題の本質は変わらない」ともM氏は述べていますが、49歳だから失格にしていいとか、受験生ほどテストが深刻なものじゃなかっただろうというわけではありません。ただ、周囲の受験生たちの倍以上生きている大人が、監督者に従わないという行為で誰よりも周囲に迷惑をかけているというのは、やっぱり残念すぎます。18歳の受験生より大人の態度を期待するのはエイジズムではないでしょう。

 

なんというか、この件に関してはさんざん多くの人が議論しているのであえてこれ以上繰り返しませんが、しみじみ思ったのは、このM氏のような、はっきり言うと「過剰気味なコレクトネス(正論)」、つまり、マイノリティへの配慮をしようというのは正論でも、それが行き過ぎていると多くの人に感じられるような言説は、それにうんざりする人々に正論を「正しさ」とする気さえ失わせてしまうようです。

顕著なのはトランプ支持者。大昔は当たり前だった人種差別は、一昔前に「悪いこと」となりました。しかし、トランプ支持者のある部分の人々(白人至上主義と呼ばれるような人々)は、差別的な発言を悪とするのは言論の自由の制限であるなどと言い出し、「差別は悪い」という大前提から実質的に、悪びれもせず「一抜けた」としているわけです。(差別とは言わず区別とかすみわけという言葉を彼らは使ったりしますが)

平等、尊重、配慮、これらのコレクトネスは社会の大切な原則なのに、それをあまりに突き詰めすぎて現実とのギャップが大きくなると、うんざりしてしまう人も多いと思います。

せっかく民主的な現代社会が育て守ってきたこうした正しさ(平等、尊重、配慮など)から、多くの離反者が出てほしくない。

そういう意味でも、行き過ぎた主張には賛成できないなとやはり思います。

そして、(M氏は違うのかもしれませんが)「あ、なんか違ったかも」と思ったら、素直にそれを認めたり、少なくとも沈黙したりする大人気(おとなげ)は大事だなと。意固地になって言い張り続けても、かっこ悪いです。(くどいようですが、M氏がそうかどうかはもちろん本人でないのでわかりませんが)