元独裁系大学の教員がボルトン氏に考える

気づけば一か月もブログを放置してしまいました。普段より家にいるのに。

例年であれば、学期中にはあまりできないような仕事も意識的にこなすようにしているので、仕事をしている時間はむしろ増えているからかもしれません。

 

米国の元大統領補佐官ボルトン氏が暴露本を出版することが話題ですね。

発売前なのに、amazonでは既にベストセラー1位!ちなみにkindle版もあるので、日本にいても即座に読めるのがありがたいところ。私も買ってみようかと。

思えば選挙前、たとえ大統領がむちゃくちゃな言動をしても、周りを固める人々には多くの優秀で常識的な人がいるのだろうから、そうとんでもないことにはなり得ないだろうなんて甘いことをイメージしていましたが、人間というのはそんな生き物ではないとすぐさま気づかされました。

職務上の使命やら常識・良識などよりも、人間(の少なからぬ部分は)まず自分自身のために生きているわけです。リーダーが無茶苦茶であっても、「こういう風に忖度すれば自分がサバイブするのに有利である」と考えて行動し、結果として無茶苦茶なリーダーの指さす方向へ簡単に進んでいくことがおおいにあり得るのです。

トランプ氏のもとを去ってから態度を変えた人は彼が初めてではないわけですが、私も独裁系大学を去ったこのタイミングでしみじみ思いました。

権力を持っている人間のもとには、トップがどんな人物であっても、優秀な人材を含め忠実な部下が集まってきます。その動機が単なる部下自身の利益に繋がるからという下心なのか、真に慕われ尊敬されているからなのか、組織や社会のためにという動機のためなのかはそれぞれでしょうが。

しかし、内心は全く賛同も尊敬もしていなかったリーダーに、単に自分のために従っていた場合、そこを去った後に当然のように手のひら返すものだなと。

独裁系大学を去った教職員でその大学を良く言う人は笑ってしまうほどいません。(定年まで勤め上げた人はそうでもないかもしれません)普通は、自分が何年も務めた職場には愛着も良い思い出も多少なりあるものでしょうが、「あそこは本当にひどかった」という話しか出ないんですよね(もちろん、学生や同僚にはよい思い出もたくさんありますよ)。辞めて「中の人」ではなくなった途端に「あの大学とんでもなかったでしょ?」と言ってくる人もいました。中の人には言えなかったのだなと苦笑したものです。

ちなみに私はちっとも忖度せずに淡々と仕事をしていたので、権力者に拝謁(笑)する機会すらないような末端教員でした。

内心どう思っていようと、権力者に忠実な部下となることが組織で生き残り上に行くために必要なのだな、バカ正直ではサバイブできないのだな、と結構いい歳になって実感を伴って学びましたが、やはりできれば、そんなことしたくないものです。