フリージャーナリスト旅券返納命令問題

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少し前に、中東の紛争地などの取材をこれまでも行ってきた、フリージャーナリストの常岡浩介氏が、旅券(パスポート)返納命令を受け取材先に渡航できなかったというニュースがありましたね。

この件に関しては、大手メディアも含めて返納命令に対して批判的なニュアンスの報道が多いようです。私は荻上チキ氏のラジオを時々聞いているのですが、いつも中立公正をモットーにという印象のあった荻上氏もこれを批判していて、門外漢ながら一言書いてみたいと思いました。

ちなみに、同様に旅券返納命令を出されたジャーナリストが裁判でこれを不当と訴え、最高裁まで争って全敗した判例があるようです。

不当と訴えた根拠や、今回の常岡氏の件への批判も、概ね「渡航の自由や報道の自由の侵害である」ということで、更には、ジャーナリストが紛争地に出向くことがなくなれば、「紛争当事者からもたらされる非常に偏った情報に頼らざるを得なくなる(朝日新聞2019年2月9日)」と彼らは訴えます。特に後者、つまりジャーナリストは例外で、特別であるべきだというところに重点が置かれているように思われます。

しかし、記憶に新しい安田純平氏も、かつては「自己責任だから(政府は)手を出すな」というようなことを言っていたものの、実際に人質となると、助けを求めました。これについては、助けを求める彼をそう厳しく批判するものでもないと私は思っていました。

つい、できもしないことを言ってしまったが、自分の身の危険を目の前にしたら、助けて欲しいと願う。それは、人間として当然かと思います。「一度いらないと言ったのだから責任を持って命さえ諦めろ」というのは非情かと。ただし、やむを得ないのは「やはり実際に直面したら死にたくないと必死だった。考えていたのと違った」といった人間の弱さであり、「いざ命の危機に陥ったら国が助けるのは当然。だが、命の危機に陥る可能性がとりわけ高いことを自らするのを止めるのは不当だ」と初めから開き直るのは、率直にいって、身勝手ではありませんか?助けを求めるジャーナリストに「助けるのは当然であって、自己責任論者は厳しすぎる」と擁護した同じ人々が、渡航禁止を不当とするのは、なんだか釈然としません。

これを批判するジャーナリストやメディアの人々は、恐らく上のようなロジックでは考えていないのではと思います。彼らにとって決定的なのは、上述の、「ジャーナリストの紛争地への渡航は人類にとって極めて例外的レベルの重要事」という認識なのでしょう。

同じようなロジックで、政府が原発事故後に一部地域が立ち入り禁止にしたことを、メディアはそう批判したでしょうか?「自己責任でその地区に住みたいのだ。何かあっても助けていらないから禁止は不当だ」という人がいたとして、それをこの旅券返納問題と同じ強さで批判するのでしょうか?していなかったと思うし、これからもしないでしょう。

しかし、フリージャーナリストが紛争地に入って取材することは、いかなる場合でも絶対に必要で守られるべき権利なのでしょうか。「紛争当事者からもたらされる非常に偏った情報に頼らざるを得なくなる(朝日新聞2019年2月9日)」といいますが、ジャーナリストのもたらす情報は偏っていないのでしょうか?現代の武力紛争のような要因も背景も高度に複雑化している事象を、個人で現地に入って取材や撮影をして、果たして偏らない有益な情報がもたらされるのか。生々しいリアルタイムの情報を伝えるのは、彼らのような人々にしかできないのかもしれませんが。

以前、あるジャーナリストが私に、研究者はジャーナリストが1日でできることを1年もかけてやっている、と言ったことがありました。ジャーナリストの大きな使命のひとつは、迅速に伝えるということかと思います。街角で何人かにインタビューして得られた情報が、1年かけた研究論文の結論と同じということもあるでしょう。しかし対して研究論文は、時間がかかっても「本当にそうなのか」の証拠をきっちり示すものです。何人かに街頭インタビューした第一報が常に偏っていないかはちょっと疑問もあります。それぞれ役割が違うのです。

何が言いたいかというと、彼らのもたらす情報は貴重ではあるし、ジャーナリストが不要だというわけでは決してありませんが、助けるのに大きな政治的資源や、莫大なお金がかかる状況で、危険が大きい場合に政府が渡航禁止とすることが、それほどおかしいとは私には思えません。

 

 

 

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