死と家族と

急に何だか過激なタイトルかもしれませんが、人生をふと考えてみる、というような趣旨です。

少し前に、90才を越えた祖父が亡くなりました。長患いもせず、平均寿命を大きく越えた大往生だったかもしれません。

昭和の頑固おやじといったタイプでしたが、家族は大事にしてくれましたし、私が子供の頃には正月は祖父宅に大勢の親戚が集まり、子供たちはお年玉をもらい、立派なお節や鯛を祖父母が用意してくれていました。

学費を援助してもらった孫もいます。頑固おやじとはいえ、笑顔もたくさん覚えています。

そんな祖父ですが、通夜、葬儀共に参列した孫は半分でした。祖父から甥姪にあたる人々や、その子供たちも、以前は盆正月、イベント毎と祖父の家に集まっては豪勢な食事をし、お小遣いをもらったりしていたのに、参列したのはわずかです。

寂しい葬儀でした。

その人たちはせめてもと電報や花を贈ってきたり、一周忌に来るということもありませんでした。(学費を貰った奴は通夜から一度も現れませんでした)

私はそのことがショックで、ずいぶん薄情な親戚たちだ、と憤りを覚えました。

そこで、一般の人々の声を少しばかり拾ってみようとQ&A系のサイトだったり、掲示板で検索してみたところ、意外にも、孫世代は祖父母の通夜や葬儀に出席しない例も少なくないらしいことを知ったのです。

我が家のように、少なくとも子供の頃はあたたかな交流があり、世話になり、かわいがられていてもです。

亡くなる直近に交流がなかったのなら仕方ない、というような主張も散見されました。

一方、そのすぐ前に祖父に近い親戚の結婚式があったのですが、そこには、祖父の葬儀には参列しなかった人々もこぞって出席していました。

祖父の人望のなさだといってしまえばそれまでかもしれません。

葬儀の参列者が全てではないかもしれません。

しかし、なんだか、家族とはなんだろうなと虚しくなってしまいます。

子供を持ち育てることが非常に美化され、奨励されているような昨今ですが、懸命に昭和の企業人として働き、家族のために多くを捧げた一人の男が、親戚(ほとんど子孫)からさほど死を悼んでももらえないとは・・・。(さすがに、実の子は全員参列していましたが)

私は祖父のことを忘れずにいたいものだと思います。

しかし、祖父はどんな仕事をしていたのだろう。仕事の上では、どんな人生を送ったのだろう。思えば社名ぐらいしか知りません。仕事に邁進する世代となった今、ふと、それも残念に思います。

 

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