裁量労働制は労働者に自由をもたらすのか?

裁量労働制肯定派の記事を読んだので、ひっそり反論してみます。(いえ、面と向かって議論できるなら歓迎ですが、ただの無名ブログなので)

どうもブログ的な個人のサイトに近いもののようなので記事は張りませんが、Aという保守系評論サイト主、IN氏の記事。

簡単にまとめると、

 

1.長時間労働はタイムカード(労働時間の管理)では変わらない。

2.基本的に、仕事を断らない正社員の責任。

3.定年までの長期的関係で出世が決まる正社員は、忠誠というプレッシャーの存在などから過労死するまで働いてしまったりする。

4.だから、正社員が正しい形という慣行をやめ、労働者が自由に働けるような雇用の流動化が望ましい。

 

つまり、労働はもっと自由であるべき。もし勤務先がブラックならば、自分に見合う職場にとっとと転職できる自由な働き方の方が労働者にとっても企業にとっても良い。裁量労働制は労働を自由にするものだから良いこと!

・・・という論調なのですが、それをやたら裁量労働制反対派に攻撃的な調子で主張しています。大学の客員教授(一般的にフルタイムの学部メンバーではなく、授業だけ担当しているポスト)という肩書があるようですが、20年ほどメディアにいた人のようです。研究者というより、ジャーナリストですかね。

そんなわけないだろう、と私は思います。

まず1に関して。数十年前にメディア企業で働いていた際、タイムカードなんてあってもボールペンで書き直して、残業していないことを装っていたそうです。だから意味がない、という主張。

そうして当然、という会社や世の中だったら、正社員個人個人がどう仕事を断ったり、あっさり別のホワイト企業に移れるというのでしょう?

「過度な残業はよくないことだ。残業代不払いも悪いことなんだ」という労働文化を地道に根付かせ、きちんと残業代をつける、その上で残業時間に上限を設けよう、というのが今の風潮です。そうした風土というか文化のあるなしでは、一人一人の労働者にできることは各段に違います。

現状の日本は個人の能力に応じて年俸を決め、何度も転職するのが当たり前、という米国のような文化とは全く異なるのです。

一般の企業では30代、大学教員では40代で転職は厳しくなるとよく言われます。

このIN氏の主張は、社会全体の景気が良く、多くの企業が人材確保のためにホワイトな条件を提示する状況にあり、かつ転職が当たり前とされ、個人の能力で年俸を決めるスタイルが多数派になり、文化として根付いて初めて機能する”かもしれない”議論です。

公務員も大学教員(多分多くの私立も)もおそらく多くの私企業も給料はほぼ年功序列で決まり、ある程度年がいってからの転職は一般的には歓迎されない風潮にある日本ではどう考えても通じません。

こんな状況で裁量労働制を拡大しては、企業に都合よく使われるだけです。つまり、残業代を払わず、残業時間上限も気にせず、労働者を使うことが「可能になる」のです。

全ての企業が、法の趣旨を尊重して、無理なくできる、もし優秀ならむしろ時間の余裕ができる仕事を裁量労働者に与えるでしょうか?そんなわけがないのはこれまでの歴史が証明しています。

ついでにいうとうちの大学もそれを示している例のひとつです。

また、それに加えて、米国のような労働文化、企業文化があったとしても、それがメリットとして機能するのは能力の高い人にとってのみでしょう。自分を労働市場で高値で売ることができない人にとっては、過酷さは自由化によって何も改善されません。

このIN氏という人物、「裁量労働制擁護派は全く論理的でない」とか、「皆わかっている筈なのに政府を攻撃したいだけの偽善」だとか穏やかでない言い方をしていて、どうも、「自分と異なる意見に果たして理があるだろうか」、と立ち止まって考えることのできない方のようですね。

残念です。

 

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